「協調しないという選択肢を」←は?
こんばんは。宮岡です。
本日2個目のブログです。最近、文章を書いてなさ過ぎて、かなり文章力がなまっております。
結構前ですが、twitterで「『みんなと友達に!』という目標が、人の個性を失わせる。ひとりの方が好きな子もいる」みたいな内容のtweetを見ました。
しかし、人間として生まれてきてしまった以上、群れとして生き延びてきた人間の遺伝子を持っているわけです。そして、今でも助け合いながら生きています。
細胞1つでは使い物にならないのと同じで、人間1つでも使い物になりません。
もちろん、人を殺すのは人であり、がん細胞が潜んでいることもあります。
しかし、社会の健康、治安、幸福度というものは、人間ひとりひとりががん細胞にならぬべく、「心の知能指数」を上げていくことによって保たれるものと思います。
不毛な争いも多々あります。人間というものは不十分ですから、国と国の対立が絶えることなく行われます。
とはいえ、小さな社会(部活やクラス)で争いが起きるようでは、争いを吹っ掛けた人の心が未熟であるように思います。
協調する必要があるのです。困難にぶち当たったときに、いつもの自分のまま対処をすると危険です。作品を作るように、セリフや小説を書くように、困難を越える階段を「造る」気持ちで臨まなければ、小さな集団は滅びます。
そこで必要なことは、
1.嫌われずに叱り、人を動かす力
2.気分の波の平均値を全体的に上げて、ローテンションな時にも幸福を感じられるようにしておく。
3.マインドフルネス(今、ここのみを考える)に構える
4.アンガーマネジメント(自分の怒りへの対処法)
であると思います。
言語スキルと感情スキルと分類しましょうか。
ここまで来ると、僕の興味が浮き彫りになってきます。
「言語」と「感情」——まさに僕の興味の矛先です。