「彼女が欲しい」という言葉の裏に隠された無意識とは
こんにちは。宮岡です。
眠たすぎて、本当に本を読んでも頭に入ってきません。
まあ、ある程度のやる気があるのでいいとしましょう。
さて、今日は「彼女が欲しい」についてです。
昨日はすき屋で夜中までおしゃべりしていたわけですが、「彼女が欲しい」という発言には目的語があるように思います。
「彼女が欲しい」っていう発言って、さみしさに裏付けされてるじゃないですか。
で、そのさみしさってどこから来るかって言うと、依存とか中毒だと思うんですね。
例えば、タバコにハマる人とか、モルヒネにハマる人とかいると思うんですけど、喫煙者ってタバコがないと一種のさみしさを感じると思います。
だから例えばAさんのことが好きな時に、ガッツリ好きだったら「Aさんが好き」ってなります。しかし、ガッツリ好きじゃないにしても何かAさんを頭にストックすることで依存性を高めるのであれば、「Aさんが好き」ではないけど、「Aさんのせいで、なんかちょっとさみしい」みたいな状況に陥ります。
そう考えると「好き」ってなんなんでしょうね。
依存する感じが「好き」と言ってもいいのでしょうが、よくわかりません。
ちなみに僕は本当に頭がおかしい人が好きなので、僕を彼氏にしたい方はキチガイになってください。