最近モチベーションがやばい。

こんばんは。宮岡です。

 

今日は、友達とラーメン屋さんに行って、その後1人でカフェで読書して、映画を見に行き、本を買って、ネット活動をして、充実した1日でした♪

 

 

 

僕は、最近将来のことについて深く悩んでいます。

そこで、ネットのみなさんと色々お話をしました。

 

ーー

「塾を建てたい」そういう、ただの僕の戯言。

 

「起業ですか!いいですね!」というリスナーのコメント。

 

 

僕は、いつから塾を建てたいと思い始めたのか。

 

ーー

 

好きなこと・興味のあることで生きていこうと思える人ほど強いものは無いと思います。

 

僕は、この上なく「教える」ことが好きです。有能でありたいという気持ちの先走りなのかもしれませんが。

 

しかし、就職という手段に何か壁を感じていて、その根源は高1の時に診断された発達障害だと思われます。

 

僕自身、絶対そんな診断信じてやらねぇよという気持ちで生きていますが、どうしても「絶対、発達障害でしか説明できないよな、これ」っていう事態に直面します。

 

最近そういう出来事が積み重なりすぎて、自尊心が地の底まで下がっていました。

つまり、何のために生きてるか分かんねぇな、これっていう状態です。

 

時間は守れないわ、気分の波は激しいわ、仕事期限に終わらせられないわ、

これじゃただの無能じゃねぇかと。

 

先ほどもチラっと書いたように、「有能でありたい」というのが僕の強い欲求なようです。

恐らく、性格の一種なんでしょうね。

 

深読みをすれば、「有能でありたい」という性格をもつことで、無能さを克服できるから、宮岡という本能がそうさせているのでしょう。

 

 

すこし前に読んだ本で、エニアグラムという性格の9分類を学びました。

エニアグラムの教えによると、「人間は弱みや欠点があって、それを補強するために性格という盾を手に入れた。だから、その性格を手放せば、他の自分の可能性も経験できる。その性格による感情や欲望、行動は、自動的反応であるからだ。」という(多少意訳しています)

 

そういう所もあって、自分の欲望のままに生きることに疑問を感じていました。

だからこそ、塾に就職したり、学校で先生をやるということに抵抗を感じていたのだと思います。

 

 

それから、高1のときに僕は荒れていました。

衝動的行動を抑えられず、行動だけが独り歩きしている状態に、自分自身も困惑していました。

 

机を急に殴り、それに対してイライラした友達が舌打ちをしてきたことに対して、大声を出し、机を薙ぎ払って、友人3名ほどを怒鳴りつけ、しまいに静止にかかった交際中の彼女の手も振り払い泣かせてしまうという、過去最悪の出来事がありました。

この日は、担任に「早退します。」とだけ告げると、異変を感じた担任が別室で僕と話してくれました。でも、僕は声が一切出ず、表情も一切作れずに、虚無の状態で数十分を過ごしていました。

担任もこのことに悩んでいたように思えます。-これと関係があるかどうかはわかりませんが、その担任は翌々年で教師を辞職したそうです。

 

この辺から、人の罪に対する考えが変わり、「ああ、犯罪はこうやって起こるんだな」という信念を強く持つようになりました。

 

―一歩間違っていれば、僕はお縄だった。

 

 

高2の時は、「とにかくストレスをかけないように生きよう」という想いでした。

だから、宿題はやらず、部活も手を抜き、極力怠惰に生きるように「努め」ました。

 

この辺から、「努力できない人」「頑張れない人」に対する見方も変わりました。

 

 

高3でようやっと復活したように思います。

 

 

高2ぐらいで、リアルの友達ではなくネットの友達を増やしました。

そこで、出会ったのが超非行少女です。(実存しているかはわかりませんが、心には強く残っている存在です)

 

友達を殴り、警察のお世話になっていたり、いじめられて、不登校になっていたり、他にも様々な苦難を抱えている女の子でした。(3つ下だったかな?)

彼女の衝動性は、自動的で、抑制のしようがないように思えました。

心なしか、学習障害の節も見て取れました。

 

高1・高2の僕と重なる部分がありました。

 

 

―教育が悪いんだ。

 

無意識にそう思っていたように感じます。

 

 

 

最初は、頑張れない人・犯罪すれすれのことをしてしまう人に対する風当たりの強さを変えたいという気持ちでした。

むしろ、日本人皆を洗脳したいとまで思っていた節があります。

 

「犯罪者は悪くない」「加害者こそが被害者だ」「頑張れない人も、努力を微分すればどこかしらで努力をしている」

―色んな理論を僕の中で作っていきましたが、どうそれをOUTPUTするかがイマイチでした。

 

 

そこで、塾のバイトを始め、YouTubeで教育コンテンツを発信し、パッと思い付いたのが塾を経営しようという考えだったのでしょう。

非行を更生する前に未然の教育だ。-ひとまず、この考えがずっとありました。

 

 

なるほど、こういう僕の考えや信念、ポリシーをすべて満たすことのできる手段が「塾を建設すること」なのかと。

 

 

最近、「塾を建てる~」という雰囲気みたいな考えが頭を雲のようにウロチョロしていただけで、目的がよくわからず、将来の道筋を失っていたような気がします。

 

本音のところ、子供があまり好きでないので、より重要な幼児教育に携わる気持ちはありませんが、中学生・高校生のメンタル面の問題や読解力の問題を如何にシステマチックに伸ばせるかということを考えています。

読解力については、本を読むことで得られる人生へのヒントが掴めると、悩みがあっても解決できる可能性がある。そして、英国数理社の科目で躓いても自分で勉強できる力があれば、学校の50分:10分(=授業:休憩)という内訳に耐えるだけのレジリエンスにもつながる、という発想からです。

 

 

なんか、久々に硬い文章を書いた気もしますが、今日は色々ブラッシュアップされる一日でした。

 

明日からの僕は一味違う。そういう「これから」にしたいですね。