人を操るため?感情を操作するため?

こんばんは。宮岡です。

 

今日昼に不登校を直すための作戦を10個立てました。

 

今日は、そのうちの、「夜12時には布団に入る」を遂行したいと思います。

 

そして、授業に行く意味がまったくわからなかったので、昔のブログを読んでいたら、「僕は人を操ったり、操作したかった。その可能性を【感じる】ために、勉強して、考察することに励んでいた」わけです。なので、その先にあったものが研究だったんですよね。

 

しかし、転学部が頭に過り、そちらの方がbetterだと認識してからというもの、何が目的かよくわからなくなっていました。

とは言え、絶対言えることは、僕は人を操ることに希望を持っているということです。

 

だから、心理学を勉強して、興味の方向を操ったり、幸福度を上げたり、そういうことがしたかったわけです。

 

根本にあったのは教育の改革。幸福度が上がるような介入をする方が、英数国理社より大事なのではないか。この気持ちが、塾の先生という立場を楽しんでいる僕と葛藤していたわけです。

 

僕の空想癖が僕を駆り立てていたのかもしれません。世界中を幸せにしてやるんだ!という半ば本気の願いが僕を根本的に持ち上げていたのかもしれません。

そう考えると勉強したくなってきた気もします。

 

あ、もう12時だ。急いでベッドに行きます。

 

最後に一つだけ。僕は、国語の先生に一旦なりますが、そこでは終わりません。実験段階に過ぎなくて、その後は塾を開講して、本当に最善の教育は何なのかということを世界に示してやります。